町で生まれ、生きてきた歴史をお聴きし、その中から次の町をつくっていく糧を発掘していく『北國とおり物語』の第2回。
昭和元年「ひろた理髪店」として開業、現在は3代目が継ぐ「ヘアーサロンひろた」。
2代目外嘉さんと奥さんの敏子さん、3代目の明さんに、町の歴史、お店の物語を伺いました。
初代の彦三さんは、父親の仕事の関係でで金沢から小松へ移られたことをきっかけに、
理容の技術習得ののち、店舗を構え昭和元年に開業されました。
左から:明さん(3代目)・外嘉さん(2代目)・敏子さん・モップ
「ヘアーサロンひろた」では現在、2代目外嘉、とその妻敏子、3代目の明3人の理容師がお店に立つ。
先祖は西郷隆盛を首領とする西南戦争にかかわり、加賀藩で決起した時に日本武尊の像に、先祖の名前が書かれている。
西郷隆盛と関わった先祖をもつ初代彦三の開業の経緯は、
Q. なぜ金沢から小松へきて散髪屋を開業したのでしょうか
敏子「おじいちゃん(彦三)のおやが裁判所の検事やったらしいから、小松へ来た」
初代彦三、なぜ理髪店を志す経緯は誰も聞いておらず分からないそうだが、
1924年19歳の時に西町へ移り、昭和元年(1926年)に「ひろた理髪店」を開業する。
しかし、開業した理髪店の建物を取り壊さなければならない事件が起きる。
昭和7年の市中心部を焼き尽くした大火である。
「ひろた理髪店」へ町を飲み込むように大火が迫る中、現代のような設備もなく、ある決断を当時の人たちはした。
家を壊す、理髪店の建物とその隣の家を壊し、密接していた民家が並びに空白を設けることで、燃え広がらないようにした。
その名残は、理髪店の前の道路を見ればわかると、外嘉さんが外へ出て説明くださった。
前の道は広いが、急にその先へ伸びる道は狭くなっている。
急に狭くなる、ヘアーサロンひろたの前の道
町のために建物を壊し、再建し、理髪店は彦三さんから、外嘉さんへ引き継がれる
外嘉さんは昭和12年に生まれ、小学校入学の頃に太平洋戦争が開戦。
通っていた芦城小学校では、正門付近で竹槍を突く練習をする上級生、運動場はさつまいも畑が当たり前だった。
物資が不足していた戦中を過ごしたこともあって、戦後に仕事に就く年齢になると、饅頭屋など食べ物に困らない職業に憧れを持っていた。
外嘉さんに経緯を語っていただいた
中学卒業した当時に、誰かが後継がないとということで、
本当は、うどん屋か、まんじゅう屋に修行にいきたかったと、食べ盛りで、
散髪屋やったら髪の毛食べるわけにいかんと、お父さんいつも言っとった。
そやけど、誰か継がんなんということで、大阪行ったんやわ。
そして、親の後を継ぐために大阪で理容の修行の後に、「ひろた理髪店」を継ぐ。
その後、敏子さんと結婚され、昭和42年3代目の明さんが誕生する。
明さんは、18歳で理容学校に通い、5年間東京で修行後に24歳で小松へ帰っきて今に至る。
3世代の共通した理容道具は、業界では使用する人が減っている日本カミソリだそうだ。
何年も丁寧に研ぎ石で研ぎ、つるりとなめらかにヒゲを剃ることができる。
明さん:床屋さんのカミソリの次に切れるのがメスぐらいや、その次ぐらいに切れ味がいい
長年丁寧に研ぎ使われている、日本カミソリ
3代にわたり、町のためにも尽くしてきた。
曳山子ども歌舞伎の世話役である「五人衆」には、3世代が経験。
現在、明さんは町内会活動でコミュニティづくり、仕事ではセーフティネットづくりと町に対して尽くしている。
外嘉さん、明さんへ自分の町への想いを伺った。
外嘉さん:
もっと活性化してくれたらいいと思っている
なんかの町内の時にでてきてくれて、若い衆が
ほやけど今は 年寄りばっかなっとる
明さん:
自分の町、西町に対して、昔みたいに活気戻って欲しい、
人手不足、少しでも町民増えて欲しい
2人とも、人が増え賑わいが生まれることを望んでいる。
子ども歌舞伎の曳山・町費安くするよう、婦人会がイベント時に昼飯つくるなど、町民総出で出来ることを協力し合い、業者への発注をなるべくおさえている。
公民館長でもある明さんは、お金をかけず創意工夫で、町のコミュニティづくりの為にもイベントを数多く取組んでいる。
竹釣り、ナイトウォーキング、ミニかどまつ、健康麻雀など。
明さんの代より、多くのイベントを実施したことにより、西町住民の日常的に出会う機会が増えている。
昔みたいに活気戻って欲しいと願う明さん、まずは町内の活気づくりからだそうだ。
また、町内だけではなく自身の店でセーフティネットの取り組みも行っている。
小松理容組合の加盟店に呼びかけ「こまつ382番」という、理髪店の客待ち場所を子ども、お年寄りに自由に使ってもらい、日常のコミュニティの場として開放することで、認知症発見、ゲートキーパー、オレンジリングなど、セーフティネット構築に取組んでいる。
小松理容組合がとりくむ「こまつ382番」(さん・ぱ・つ)
3世代にわたり、町のために尽力されてきた廣田さん。
また、若い衆に戻ってきてほしいと、日々できることから取組んでいく。
2020年は西町が曳山の当番町、西町の曳山と共に町内の創意工夫にも注目したい。
看板犬・モップちゃん
看板犬・モップちゃんの横顔
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[ヒアリング・文・写真] 田村 薫